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昭和の駄菓子


キャラメルの時代(昭和20年代)

昭和20年から徐々に駄菓子は復興します。零細な菓子職人の手から生産されて駄菓子屋に運ばれます。時代の変化は統制の撤廃から始まります。水飴と砂糖の統制撤廃、昭和24年12月、キャラメルが自由販売になります。するとたちまち200社も零細な業者が誕生します。この中で一時代を創ったのが岡山のカバヤと東京の紅梅キャラメルです。

 昭和21年発売のカバヤキャラメルは、封入されている、絵入り点数カードを50点分でカバヤ文庫1冊がもらえ、本がほしくても中々買ってもらえないこども達の心をひきつけます。カバヤ文庫の第1号は昭和27年の「シンデレラひめ」と「ピノキオの冒険」です。

 昭和26年発売の紅梅キャラメルは関東地域の販売です。おまけの野球カードで人気に火がつきました。カードを集めるとグローブやバット、野球帽などがもらえるのですから比較的高い年齢層の子供たちが中心です。

しかし一大ブームになった為、カード集めは窃盗や万引き事件を引起し、社会問題化し、昭和29年になり、キャラメル業界全体が売れ行き不振となり、ブームは終焉を迎えます。

その他にも、さまざまなメーカーが誕生しています。今は無くなったメーカーも多数有ますが、20年代創業し今も営業中の主なメーカーと製品をあげます。

 昭和24年島田製菓ラムネ菓子 発売。 キッコー製菓 飴菓子 製造
 昭和25年岩本製菓タマゴボーロ 発売 カクダイ製菓 創業
 昭和26年丸川製菓 風船ガム 発売
 昭和27年大和製菓(後のオリオン)ココアシガレット 発売
 昭和28年コリス当たり籤ガム 発売

昭和30年代から50年代の駄菓子

昭和22年から24年にかけての第一次ベビーブーム、団塊の世代が小学生になる時期の30年代、800万人の駄菓子需要が創り出されたのです。

人口の集中がありました。大都市圏の東京、大阪、名古屋に大量の労働者が移動します。集団就職や出稼ぎで、農村地帯は過疎化し三ちゃん農業と言われるようになります。

昭和30年、生産力が戦争前の最高水準を回復し、高度成長時代が幕開けします。神武景気から岩戸景気を経て東京オリンピックまで好景気が続き、その後の不況を経て、昭和41年いざなぎ景気から昭和48年のオイルショックまでの時期が高度成長の時代です。この間に第2次ベビーブームを挿みます。

零細な手仕事で作られていた駄菓子は、工場制手工業となり、そして機械制大工業に変換します。 駄菓子も工業生産物になって行くのです。この時代に創り出された駄菓子が、今日の駄菓子の代表に育っていきます。

  昭和30年ナマイ商店 棒キナコ飴 発売
 昭和34年松田食品ベビーラーメン発 売、東産ライスチョコ 発売
 昭和35年コリスフエガム 発売、明光製菓こざくら餅 発売
 昭和36年松山製菓粉末ジュース、発売 明治マーブルチョコ発売
 昭和37年松尾チロルチョコ 発売、見田製菓きびだんご 発売
 昭和38年カクダイ クッピーラムネ 発売、コリス フエラムネ発売
 昭和39年三立製菓チョコバット 発売、コビト ボトルチョコ発売
 昭和40年オリオン コーラシガレット 発売、森永チョコボール発売
 昭和41年松山製菓パンチコーラ 発売
 昭和42年フルタハイエイトチョコ 発売、コビト ボトルチョコ発売

昭和43年明治製菓が「カール」を発売します。スナック菓子の誕生です。軽い食感で、かさ高くボリューム感のトウモロコシ原料のコーンスナック。 このスナックを子供向けにし、売り出したのが、「キャベツ太郎」や「もろこし輪太郎」です。(販売年未確認)これに類似した商品はかなり多いですね。

50年代に発売されたうまい棒も、この種類です。チョコをカバーした「日本一ながーいチョコ」、「チョコ太郎」もこの時期かと思います。

 昭和44年美濃金 花串カステラ 発売
 昭和45年グリコペロティチョコ 発売
 昭和46年不二家ハートチョコ 発売 カルビー仮面ライダースナック発売
 昭和48年オリオン梅ミンツ 発売
 昭和51年フルタ セコイアチョコ発売、ロッテ ビックリマンチョコ発売
 昭和52年トーカイふ菓子 発売
 昭和53年松田食品 カップ麺ベビースター発売
 昭和54年やおきん うまい棒ソース味 発売 オリオン ミニコーラ発売
 

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